快楽の追求シリーズ 第7部

目次

快楽の先にあるもの|愛情と自由を考える

このシリーズでは、

人はなぜ快楽を求めるのか。

性欲は本能なのか。

セックスが好きな人はおかしいのか。

不特定多数との関係を求める心理。

風俗で働く女性は何を求めているのか。

そして快楽と幸福の違い。

そんなテーマについて考えてきました。

今回は最終回です。

快楽の先にあるものについて、私なりに考えてみたいと思います。


私は快楽を否定しない

まず最初に言っておきたいことがあります。

私は快楽を否定しません。

セックスも好きです。

美味しいものも好きです。

旅行も好きです。

好きな音楽を聴く時間も好きです。

人生には楽しみが必要です。

快楽があるから頑張れることもあります。

快楽があるから明日を楽しみにできることもあります。

だから私は、欲求そのものを悪いものだとは思いません。


しかし快楽だけでは満たされない

一方で、

快楽だけを追い続けても満たされないことがあります。

これは若い頃よりも、今の方がよく分かります。

新しい刺激は確かに楽しい。

新しい出会いも魅力的です。

興奮することもあります。

しかしその興奮は、やがて落ち着いていきます。

するとまた次の刺激を求めたくなる。

そんな経験をした人もいるのではないでしょうか。

私自身、人間は刺激だけでは生きられないと感じています。


愛情は快楽とは少し違う

愛情の器シリーズでも書いてきましたが、

私は愛情と性欲は別のものだと思っています。

もちろん重なる部分はあります。

しかし完全に同じではありません。

性欲は瞬間的なエネルギーです。

愛情は時間をかけて育つものです。

性欲は求める気持ちです。

愛情は与える気持ちに近いのかもしれません。

だからこそ、

セックスがあっても愛情がない関係もあります。

愛情があってもセックスがない関係もあります。

人間は案外複雑です。


自由とは何だろう

若い頃の私は、

自由とは制約がないことだと思っていました。

好きなことができること。

誰にも縛られないこと。

それが自由だと思っていました。

しかし年齢を重ねて少し考え方が変わりました。

自由とは、

自分で選び、自分で責任を持つことではないか。

そんな気がしています。

どんな生き方を選んでも良い。

どんな価値観を持っても良い。

しかしその選択の結果も、自分で引き受ける。

それが本当の自由なのかもしれません。


人は誰かとのつながりを求める

私は一人で過ごす時間が好きです。

むしろ気を遣い過ぎる性格なので、一人の方が楽だと感じることもあります。

けれど不思議なことに、

完全に一人だけで生きたいとは思いません。

誰かと話したい日もあります。

理解してほしいと思う日もあります。

人は結局、

誰かとのつながりを求める生き物なのかもしれません。

それが恋人なのか。

夫婦なのか。

友人なのか。

家族なのか。

形は人それぞれです。


快楽の先に見えてきたもの

61年生きてきて、

私が快楽の先に見つけたものがあります。

それは、

安心感です。

信頼です。

理解されることです。

そして自分らしくいられることです。

もちろん快楽も大切です。

しかし最後に心に残るのは、

誰といたか。

どんな時間を過ごしたか。

そんなことのような気がしています。


正解は一つではない

このシリーズを通して伝えたかったことがあります。

それは、

性欲があっても良い。

性欲がなくても良い。

一人を愛しても良い。

複数の人に魅力を感じても良い。

結婚しても良い。

しなくても良い。

人には様々な生き方があります。

だから私は、

自分と違う価値観をすぐに否定したくありません。

人間はそれぞれ違うからです。


まとめ

快楽の先にあるものは何でしょうか。

人によって答えは違うと思います。

私にとっては、

安心感。

信頼。

自由。

そして人とのつながりです。

快楽は人生を彩ります。

しかし人生そのものではありません。

だから私はこれからも、

快楽を否定せず、

愛情も大切にしながら、

自分らしく生きていきたいと思っています。

皆さんにとって、

快楽の先にあるものは何でしょうか。

もし良ければ、一度考えてみてください。


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