愛情の器シリーズを書き続けてきて、
恋愛、夫婦、独占欲、誠実さ、依存、運命…。
いろいろな角度から「愛とは何か」を考えてきました。
ところが最近、愛犬と散歩をしている時に、ふとこんなことを考えました。
「犬は、なぜこんなにも人の心を癒やすのだろう。」
恋愛とは違う。
夫婦とも違う。
親子とも少し違う。
それなのに、犬を家族以上の存在だと話す人も少なくありません。
ペットロスという言葉が生まれるほど、多くの人が犬との別れに深い悲しみを感じます。
今日は、犬という存在を通して「愛情」を考えてみたいと思います。
犬は何も求めてこない
もちろん、ご飯は欲しがります。
散歩にも行きたがります。
遊んでもほしいでしょう。
でも、それは条件ではありません。
犬は、
「今日は仕事で疲れているから迎えに行くのをやめよう。」
とは考えません。
収入が減ったから好きではなくなることもありません。
年齢を理由に距離を置くこともありません。
犬は、その人自身を受け入れます。
私は、このことが人の心を救っているのではないかと思います。
人間関係は期待が生まれる
一方で、人間同士の関係には期待があります。
もっと分かってほしい。
もっと話を聞いてほしい。
もっと優しくしてほしい。
こうした期待は自然なものです。
だからこそ、期待が裏切られた時に傷つきます。
恋愛も夫婦も同じです。
愛情が深いほど期待も大きくなります。
そして、その期待がすれ違いを生むこともあります。
犬は期待より信頼でつながっている
犬との生活を見ていると、
期待よりも信頼で成り立っているように感じます。
帰ってくる。
散歩へ行く。
ご飯をくれる。
一緒に過ごす。
毎日同じことの繰り返しです。
特別なことは何もありません。
でも、その積み重ねが安心を生みます。
人間関係も本当は同じなのかもしれません。
派手な愛情表現より、
毎日の「おはよう」。
何気ない「おかえり」。
体調を気遣う一言。
そんな積み重ねの方が、ずっと大きな愛情になることがあります。
犬は「今」を生きている
犬を見ていると、
昨日の失敗を責めません。
明日の不安にも苦しみません。
目の前の飼い主を見ています。
一緒に歩く時間を楽しみます。
私はそこに、人間が忘れてしまった何かを感じます。
恋愛では、
過去を引きずります。
未来を心配します。
そして今を楽しめなくなることがあります。
犬は違います。
だから私たちは犬といると心が落ち着くのかもしれません。
私たちは犬から愛されているのか
犬は本当に人を愛しているのでしょうか。
学者の中には、
「学習された行動だ」
という人もいます。
食べ物をくれるから。
世話をしてくれるから。
そう考える人もいます。
でも私は、それだけでは説明できない場面を何度も見てきました。
飼い主が病気の時。
落ち込んでいる時。
何も言わずにそばへ来る犬。
あれは本能だけなのでしょうか。
私は違うように思います。
愛とは安心を与えること
このシリーズを書いてきて、
愛とは何かを何度も考えてきました。
最近、一つだけ思うことがあります。
愛とは、
安心を与えることなのかもしれません。
恋愛でも。
夫婦でも。
家族でも。
犬でも。
「この人のそばなら安心できる。」
そう思える存在には、
必ず愛情があります。
犬は愛情の先生なのかもしれない
61歳になって考えるのは、
犬は人間より愛情表現が上手なのではないかということです。
嬉しい時は全身で喜ぶ。
寂しい時は寄り添う。
怒っても引きずらない。
昨日のけんかを翌日まで持ち越さない。
そんな姿を見ていると、
教えられることがたくさんあります。
まとめ
恋愛も大切です。
夫婦も大切です。
家族も大切です。
でも、犬との暮らしは私にもう一つの愛情を教えてくれました。
それは、
条件ではなく存在を受け入れること。
期待するより安心を与えること。
そして、
今日という一日を一緒に過ごせることを喜ぶことです。
愛情の器シリーズを書き始めた頃、
私は「人は何人愛せるのか」を考えていました。
しかし今は少し違います。
「どれだけ深く安心を与えられるか。」
その方が、愛情の本質に近いのかもしれません。
次回は、多くの人が経験する深い悲しみについて考えます。
「ペットロスは、なぜこれほど苦しいのか。」
犬を失う悲しみは、単なる別れでは終わりません。
そこには、人が人を愛することにも通じる、大切な心理が隠されているように思います。
