「あなた、Sっぽいよね」
「自分はどちらかというとMかな」
こんな会話は、今では珍しくありません。
恋愛の話をしているときにも使いますし、性格を表す言葉のように、
「いじるのが好きだからS」
「いじられるからM」
なんて言ったりします。
でも、ふと考えてみると、
サディストとマゾヒストって、本当はどういう人なのでしょうか。
サディストは人を傷つけたい人なのか。
マゾヒストは痛いことが好きな人なのか。
それとも、もっと心理的な意味があるのか。
最初に答えると、日常会話で使われている「S」「M」と、性的な意味で使われるサディズム・マゾヒズムは、かなりごちゃ混ぜになっています。
大ざっぱに言えば、
サディスティックな傾向は、相手を主導したり、相手の反応を見たりすることに心地よさを感じる方向。
マゾヒスティックな傾向は、相手に主導権を預けたり、自分が受ける側になることに心地よさを感じる方向。
ただし、これだけでその人の性格や人格まで決まるわけではありません。
そして何より、
Sであることと、相手の意思を無視して傷つけることはまったく別の話です。
今回は、よく聞く「サディスト」「マゾヒスト」という言葉について、恋愛や人間関係も交えながら考えてみます。
サディストとは、単に「意地悪な人」ではない
サディストという言葉には、かなり強いイメージがあります。
怖い。
攻撃的。
人を苦しめるのが好き。
そんな人物を思い浮かべる人もいるでしょう。
ただ、普段「S」と呼ばれている人すべてが、そういう人なわけではありません。
恋人とのやり取りなら、
相手をからかうのが好き。
ちょっと困った顔を見ると楽しい。
自分から誘いたい。
デートでも自分が行き先を決めることが多い。
こういう人まで「私、Sかも」と言うことがあります。
ここで大切なのは、相手がどう感じているかです。
本人は冗談のつもりでも、相手が本気で嫌がっている。
怖がっているのに続ける。
嫌だと言われてもやめない。
それは、
「自分はSだから」
で済ませられる話ではありません。
恋愛でも性的な関係でも、お互いにそのやり取りを受け入れていることと、一方的に相手を傷つけることは分けて考えたほうがいい。
この線を曖昧にすると、「S」という便利な言葉で乱暴な行動まで説明することになってしまいます。
マゾヒストとは「弱い人」なのか
一方、マゾヒストには、
「言いなりになる人」
「強く言われても逆らえない人」
「痛い目に遭うのが好きな人」
というイメージがあります。
でも、こちらもそんなに単純ではありません。
普段はかなりしっかりしている。
仕事では人に指示を出している。
自分の意見もちゃんと言う。
ところが恋人の前では、
「今日はそっちが決めて」
となる人もいます。
自分で全部決めなくていい。
相手についていけばいい。
その時間が心地いい。
これは「弱い」というより、普段とは違う役割を楽しんでいるとも考えられます。
自分でも、年齢を重ねるほど「今日は誰かに任せたい」と思う気持ちはわかるようになりました。
昔なら何でも自分で決めたがったのに、今では、
「店? 任せるよ」
で済ませたい日もあります(笑)。
もちろん、それだけでMという話ではありません。
ただ、人にはいつも強い側でいたいわけではないという面があります。
そこは案外、恋愛や性的な関係にも表れるのかもしれません。
SとMは「性格診断」のように二つに分かれるわけではない
「あなたはSですか、Mですか?」
こう聞かれると、どちらか選ばなければいけないような気になります。
でも実際の人間は、そんなにきれいに分かれません。
ある相手には自分からリードしたい。
別の相手には任せたい。
その日によっても違う。
疲れていれば甘えたいし、相手が不安そうなら自分が引っ張ることもある。
つまり、
SかMかは、その人の中に永久に固定された名札とは限らない
ということです。
相手との関係によって変わることもあります。
性的な場面ではS寄りでも、日常生活ではまったく違う人もいるでしょう。
逆もあります。
ですから、
「Sだから性格が強い」
「Mだから気が弱い」
とは言えません。
このあたりは、血液型で人間を全部説明しようとするのと少し似ています。
わかりやすい。
でも、人間はそこまで簡単ではありません。
なぜ人は「主導したい」「委ねたい」と感じるのか
ここから少し心理の話です。
誰かと親しくなると、二人の間に自然と役割ができます。
いつもお店を探す人。
予約する人。
話を聞く人。
相談する人。
喧嘩したとき先に話しかける人。
いつの間にか、
「この二人では、だいたいこうなる」
という形ができています。
性的な関係でも似たことがあります。
自分から流れを作ったほうが落ち着く人もいる。
相手に任せたほうが余計なことを考えずにいられる人もいる。
ここには性格だけではなく、
その人の経験。
相手への信頼。
緊張しやすさ。
その日の気分。
二人の関係。
いろいろなものが関わっているのでしょう。
だから、
「なぜ私はMなんだろう」
「どうして彼はSなんだろう」
と一つの原因を探しても、きれいな答えが出ないことがあります。
人間の好みには、本人にも説明できない部分がありますからね。
食べ物なら、
「なぜラーメンが好きなの?」
と聞かれても、
「好きだから」
という部分が残ります。
人との距離感にも、そういうところがあるように思います。
「支配」と「主導する」は同じではない
ここは言葉を分けておきたいところです。
恋愛でリードする人を見ると、
「支配欲が強い」
と言われることがあります。
でも、主導すること自体が支配ではありません。
「今日はここへ行こう」
「予約しておいたよ」
「こっちにしようか」
こういうことを自然にできる人がいます。
相手も、
「決めてもらったほうが楽」
と思っている。
二人ともそれで心地いいなら、特に問題はありません。
ところが、
「自分の言うことを聞け」
「友達と会うな」
「誰とLINEしているのか全部見せろ」
となれば話は変わります。
相手の自由を奪っています。
これを、
「俺はSだから」
と言われても困りますよね。
Sという言葉は、相手をコントロールしてよい免許証ではありません。
ここはかなり大切だと思います。
「委ねる」と「断れない」も違う
Mについても同じです。
自分から相手に任せる。
「今日はあなたに任せたい」
と思う。
これは一つの選択です。
でも、
嫌なのに断れない。
怖くて逆らえない。
関係が壊れるのが怖くて我慢している。
これは「Mだから」と片づける話ではありません。
本人が選んでいるのか。
それとも選べなくなっているのか。
外から見れば似ていても、本人の中では大きく違います。
恋愛でもそうですよね。
誰かに合わせることが好きな人はいます。
でも、
「嫌われたくないから全部我慢する」
となれば、別の苦しさが出てきます。
SとMを考えるときは、
何をしているかだけではなく、その人がどう感じながらそこにいるのか
も見たほうがいいと思います。
サディスト・マゾヒストとBDSMは同じなのか
ここも検索している人が迷いやすいところです。
BDSMという言葉があります。
これは、拘束や規律、支配と服従、サディズムとマゾヒズムなどを含む広い概念として使われています。
ですから、SとMはBDSMと関係しています。
ただし、
S傾向がある=必ずBDSMをする
ではありません。
M傾向があるからといって、特定の行為を好むとも限りません。
普段の恋愛の中で、
自分がリードしたい。
相手に任せたい。
少しからかわれるのが楽しい。
そういう程度の人もいます。
反対に、BDSMという関係性を明確に好む人もいます。
同じ「S」「M」という言葉でも、人によって想像している範囲がかなり違うんですね。
だから相手から、
「私、Mなんだ」
と言われても、
こちらが想像したことと本人が言っていることが同じとは限りません。
勝手に決めつけないほうがいいでしょう。
「Sだから」「Mだから」で相手を決めつけると見えなくなるものがある
自分はここが一番気になります。
Sだから冷たい。
Mだから弱い。
Sだから浮気しそう。
Mだから何でも受け入れる。
そんなふうに一つの言葉で人間を決めてしまう。
でも実際には、その人にはもっとたくさんの面があります。
仕事では厳しい人が、家に帰ると犬にデレデレかもしれない。
いつも周囲を引っ張っている人が、恋人の前ではものすごく甘えるかもしれない。
普段はおとなしい人が、二人きりになると積極的になることもあるでしょう。
人間というのは、相手によって意外な顔を見せます。
だから、
「あなたSでしょ」
と言われても、
「そういうところもあるかな」
くらいでいいのかもしれません。
全部を説明する言葉にしてしまわない。
そのほうが、自分にも相手にも少し余裕ができます。
SとMの相性は、単純に「S×Mなら最高」ではない
では、SとMなら相性がいいのでしょうか。
一見、ぴったりに見えます。
一方がリードしたい。
もう一方が任せたい。
確かに噛み合うことはあります。
でも、それだけで相性が決まるわけではありません。
どこまでなら心地いいのか。
何は嫌なのか。
途中で気持ちが変わったら言えるのか。
相手がそれを受け止めてくれるのか。
こちらのほうがずっと大切でしょう。
S同士でもうまくいく人はいます。
M同士でも同じです。
二人とも、
「今日はそっち決めてよ」
となって、なかなか夕飯が決まらないことはあるかもしれませんが(笑)。
それも二人の形です。
ラベルの組み合わせより、
相手の気持ちを尊重できるかどうか。
結局はそこに戻ってくるように思います。
自分がSかMかわからなくても、別に困らない
この記事を読んで、
「結局、自分はどっちなんだろう」
と思った人もいるでしょう。
わからなくてもいいと思います。
どちらかに決める必要もありません。
相手によって変わってもいい。
途中で好みが変わってもいい。
年齢とともに変わることもあるでしょう。
自分が心地いいと感じること。
嫌だと感じること。
相手と一緒に楽しめること。
そこがわかっていれば、
「私は正式にはSなのかMなのか」
を決定しなくても、恋愛にはそれほど困りません。
性癖という言葉が、自分を理解する助けになることはあります。
でも、逆にその言葉に自分を閉じ込める必要もないんですよね。
まとめ|サディストとマゾヒストは、その人すべてを表す言葉ではない
サディストとマゾヒストとは何なのか。
日常で使われるSとMはかなり幅の広い言葉です。
相手をリードすることが好きな人。
相手の反応を楽しむ人。
誰かに任せることが心地いい人。
受ける側になることで気持ちを解放しやすい人。
さまざまです。
だから、
S=怖い人
M=弱い人
と考えるのは、あまりにも単純だと思います。
そして、もう一つ大事なのは、
相手が嫌がっていることをするのは「Sだから」ではない。
自分が嫌なのに我慢するのも「Mだから仕方ない」ではない。
ということです。
SでもMでも、それ以外でもいい。
二人がその関係を心地よいと思えていること。
嫌なことには嫌と言えること。
相手もそれを受け止められること。
そこがあって初めて、その人なりの楽しみ方になるのではないでしょうか。
運営者のメッセージ
若い頃は、人を分類するとわかったような気になることがありました。
S。
M。
積極的。
消極的。
強い人。
弱い人。
でも61歳になって人を見ていると、そんなに簡単な人はなかなかいません。
強そうに見える人ほど、誰かに甘えたいこともある。
控えめな人が、大切な場面では驚くほど強かったりする。
人間は、相手や場所によっていろいろな顔を持っています。
性の好みも、その一つなのでしょう。
だから相手から、
「実はこういうのが好きなんだ」
と言われたとき、
すぐに、
「じゃあ、あなたはこういう人なんだ」
まで決めなくてもいい。
「そういうところもあるんだね」
そのくらいの受け止め方ができる関係のほうが、自分は好きです。
性癖を知るというのは、人を分類するためではなく、
まだ知らなかったその人の一面を知ること。
そのくらいに考えると、SやMという言葉も少し違って見えてくるのではないでしょうか。
