―― 相談は答えをもらうためではなく、自分の未来を見つけるためにある ――
相談を受けることがあります。
仕事のこと。
夫婦のこと。
恋愛のこと。
子どものこと。
年齢を重ねるにつれて、相談される機会は少しずつ増えてきました。
私は61歳になって考えるのですが、昔は相談されると「正しい答えを言わなければ」と思っていました。
相手は困っているのだから、何とか解決してあげたい。
そう思うのは自然なことです。
でも最近は、その考えが少し変わってきました。
本当に相談とは、答えを求めるものなのでしょうか。
例えば、夫婦関係に悩んでいる人から相談を受けたとします。
「もう離婚したほうがいいと思いますか。」
この質問に、正解はあるでしょうか。
離婚した未来も分かりません。
離婚しなかった未来も分かりません。
未来を知っている人は誰もいません。
それなのに、相談された側は答えを求められます。
よく考えると、不思議なことです。
それでも、人は相談します。
なぜでしょう。
私は、答えが欲しいからではないと思っています。
一人で考えていると、自分の頭の中だけで堂々巡りになります。
同じ考えを何度も繰り返し、不安だけが大きくなっていきます。
そんなとき、誰かの考えを聞くことで、自分の世界が少しだけ広がります。
相談とは、答えを受け取ることではなく、自分には見えていなかった景色を見ることなのかもしれません。
私たちは、人から言われた一言を過大評価することがあります。
「あの人がこう言ったから。」
「あの人が反対したから。」
「あの人が背中を押してくれたから。」
もちろん、その言葉は大きなきっかけになります。
でも、その一言だけで人生が決まるわけではありません。
相談する前から、心のどこかでは答えが決まっていることも多いように思います。
誰かに相談することで、その気持ちを確認しているだけなのかもしれません。
以前、こんなことを考えたことがあります。
もし私が一つの言葉を掛けたことで、その人が転職を決意したとします。
転職した会社で新しい友人ができる。
その友人の紹介で結婚相手と出会う。
子どもが生まれる。
家を建てる。
そんな未来になったとしたら、私のあの一言は、その人生にどれくらい影響したのでしょう。
もちろん、そんなことは分かりません。
本人ですら分からないでしょう。
まして、相談に答えた私は知ることができません。
でも、影響は確かに存在していたはずです。
逆のこともあります。
「まだ頑張れるよ。」
その一言で仕事を続けた人がいたとします。
結果として、数年後に大きな病気になってしまった。
あるいは、その職場で一生付き合える仲間と出会った。
同じ言葉でも、未来によって意味はまったく変わります。
だから私は、相談には正解がないと思っています。
未来が分からない以上、今この瞬間に「これが正しい」と言える人はいないのです。
では、相談に答える意味はないのでしょうか。
私はそうは思いません。
むしろ、とても意味があります。
ただ、その意味は「正解を教えること」ではありません。
相手が見えていない選択肢を、一緒に探すことです。
「そんな考え方もあるね。」
「そういう見方もできるかもしれない。」
「焦って決めなくてもいいんじゃないかな。」
こうした言葉は、人生を決める言葉ではありません。
でも、人生を考える材料にはなります。
相談とは、答えを渡すことではなく、考える材料を増やすことなのではないでしょうか。
私は、自分の言葉で誰かの人生を変えたいと思ったことはありません。
むしろ、その逆です。
人の人生は、その人自身が決めるものだと思っています。
だから相談を受けても、「こうしなさい」とは言えません。
私ならこう考える。
私ならこうするかもしれない。
そのくらいしか言えないのです。
でも、それで十分なのかもしれません。
最終的に人生を歩くのは、その人自身だからです。
第1部で、人は知らないうちに他人の人生を変えているという話を書きました。
相談は、そのことを最も強く感じる場面なのかもしれません。
私たちは、自分の言葉がどこまで相手の人生に影響したのかを知ることはありません。
十年後、二十年後、その人がどんな人生を歩いているのかも分かりません。
けれど、相談した人は、ふとした瞬間にあなたの言葉を思い出しているかもしれません。
そう考えると、人との出会いは本当に不思議です。
誰かの人生を変えようとして生きている人は少ないでしょう。
それでも私たちは、気づかないうちに誰かの人生に関わり続けています。
その事実だけは、これからも変わらないのだと思います。
