「そんな男、やめたほうがいいよ」
友人から何度も言われている。
自分でもわかっている。
約束を守らない。
仕事が続かない。
お金にもだらしない。
困るとすぐに連絡してくる。
何度助けても、また同じことを繰り返す。
それなのに、
なぜか離れられない。
むしろ、
「私がいなくなったら、この人はどうなるんだろう」
と心配になってしまう。
恋愛では、ときどきこんなことが起こります。
周りから見ると、
「なぜそこまで面倒を見るの?」
と思うような男性なのに、本人にとっては簡単に切れない。
こうした関係を、
「母性本能が強いから」
と説明することがあります。
確かに、母性的な「世話をしたい」「助けたい」という気持ちはあるのでしょう。
でも、それだけなのでしょうか。
最初に答えると、
ダメな男性を放っておけない気持ちの中には、愛情だけでなく「必要とされたい」という気持ちが入り込むことがあります。
そして、
「好きだから助ける」
から、
「助けることで、この関係を失わないようにする」
へ変わっていくと、恋愛依存との境界が曖昧になってきます。
問題なのは、ダメな男性を好きになることではありません。
恋愛ですから、他人が見れば「どうして?」と思う人を好きになることだってあります。
見ていきたいのは、
その人を愛しているのか。
その人から必要とされる関係を手放せなくなっているのか。
この違いです。
※この記事は「母性本能シリーズ」全15部の第4部です。
**第1部「母性本能とは何なのか|女性には本当に生まれつき備わっているのか」**では、恋愛の中で「母性本能」と呼ばれている感情の正体から考えています。
第1部「母性本能とは何なのか|女性には本当に生まれつき備わっているのか」
「ダメな男性に惹かれる女性」という言い方は少し乱暴だと思う
よく、
「ダメ男ばかり好きになる女性」
という言い方をします。
でも私は、この表現だけで片づけてしまうのは少し違うと思っています。
最初から、
「よし。今回は約束を守らず、お金にもだらしない男性を好きになろう」
なんて選ぶ人は、まずいないでしょう(笑)。
付き合い始めたころは優しかった。
話がおもしろかった。
一緒にいると楽しかった。
夢を語っていた。
弱いところを自分にだけ見せてくれた。
そこに惹かれた。
そして関係が深くなるにつれて、少しずつ問題が見えてきた。
そんなケースも多いはずです。
つまり、
「ダメだから好きになった」のではなく、好きになった人に困った部分があった。
まず、ここを分けて考えたほうがいいと思います。
最初の「助けてあげたい」は普通の愛情かもしれない
好きな人が困っていたら助ける。
これは不思議なことではありません。
仕事で失敗した。
落ち込んでいる。
話を聞く。
病気になった。
食べ物を届ける。
お金のことではなくても、
「今日はそばにいて」
と言われれば、一緒にいる。
恋人同士なら普通にあることでしょう。
人間関係は、毎日きっちり五分五分ではありません。
彼が弱っているときは彼女が支える。
彼女が弱っているときは彼が支える。
そうやって二人のバランスは動きます。
問題は、
助けることそのものではありません。
助けることが、いつの間にか二人の関係を成立させるための「条件」になってしまうことです。
「ありがとう」と言われると、また助けたくなる
人から感謝されると嬉しいものです。
好きな人なら、なおさらです。
「助かった」
「君しか頼れる人がいない」
「本当にありがとう」
そんなことを言われる。
すると、
「役に立てた」
と思います。
そしてまた困っていると、
助ける。
また感謝される。
また嬉しくなる。
ここまでは、ごく自然です。
ところが、この繰り返しの中で少しずつ、
「私はこの人に必要とされている」
という感覚が強くなることがあります。
さらに進むと、
「この人には私が必要」
になる。
似ていますが、この二つは違います。
前者には相手の意思があります。
後者では、自分が相手の人生を背負い始めています。
「私がいないとダメ」は、強い絆のように感じる
恋愛では、
「君がいないと生きていけない」
なんて言葉がロマンチックに聞こえることがあります。
若いころなら、私もそんな言葉に愛情の深さを感じていたかもしれません。
でも61歳になって考えると、
本当に相手がいなければ生活できない状態は、なかなか大変です(笑)。
愛情が深いことと、
一人では何もできないことは別です。
それでも、
「私がいないとこの人はダメ」
という状態には、不思議な強さがあります。
自分には役割がある。
自分には居場所がある。
必要とされている。
だから簡単には捨てられない。
そして、
「この人を見捨てることは、悪いことだ」
という罪悪感まで出てくることがあります。
ここまで来ると、
「好きだから一緒にいる」
だけではなくなってきます。
別れたいのに「かわいそう」が邪魔をする
もう好きではないのかもしれない。
疲れている。
何度も同じことで喧嘩した。
この関係を終わらせたほうがいい。
頭ではそう思っている。
ところが別れようとすると、
「彼は一人になったらどうなるんだろう」
と思う。
ちゃんと生活できるだろうか。
仕事は大丈夫だろうか。
食事は?
お金は?
また落ち込むのでは?
そして結局、
「もう少しだけ」
と関係を続けてしまう。
このとき二人をつないでいるものは、本当に恋愛感情だけでしょうか。
「かわいそうだから離れられない」
が大きくなっているなら、一度考えてみてもいいと思います。
恋人は、相手の人生の責任者ではありません。
「必要とされる自分」に価値を感じることもある
ここは少し自分の内側を見る話になります。
誰かから必要とされると、
「自分には価値がある」
と感じることがあります。
これは珍しいことではありません。
仕事でも、
「あなたにお願いしたい」
と言われれば嬉しい。
家族から頼られても嬉しい。
恋人ならもっと嬉しいでしょう。
ただ、自分に自信がなくなっているときほど、
「必要とされること」が自分の価値を確かめる方法になる
ことがあります。
彼が私を頼る。
だから私は必要な人間だ。
彼が私なしでも大丈夫になる。
すると、自分の価値までなくなったように感じる。
こうなると少し苦しくなります。
相手を助けたい気持ちと、
自分が必要とされ続けたい気持ちが、絡み合っているからです。
そもそも「守ってあげたい」という気持ちが恋愛感情なのか迷う場合は、**第3部「『守ってあげたい』は恋愛感情なのか|母性本能と『好き』の違い」**でも詳しく取り上げています。
第3部「守ってあげたい」は恋愛感情なのか|母性本能と「好き」の違い
相手が自立すると、なぜか寂しくなる
ちょっと意地悪な想像をしてみましょう。
ずっとあなたを頼っていた男性が変わりました。
仕事も安定した。
生活も整った。
お金の問題もなくなった。
自分で料理もする。
困ったことがあっても、自分で考えて解決する。
もう、
「助けて」
と連絡してきません。
本来なら、
「よかった」
ですよね。
ずっと願っていたはずです。
ところが、なぜか寂しい。
連絡が減った。
相談されない。
自分の出番がない。
そこで、
「最近冷たくない?」
と感じることがあります。
もしそうなったら、自分を責める必要はありません。
ただ、
私は彼を助けたかったのか。
彼に必要とされたかったのか。
一度考えてみる価値はあります。
世話を焼くほど、相手が自立しなくなることもある
ここには、もう一つ難しい問題があります。
相手のためと思って、何でもしてあげる。
遅刻しそうなら起こす。
忘れ物を確認する。
お金が足りなければ出す。
仕事の手続きを代わりに調べる。
人間関係のトラブルまで処理する。
本人が困る前に、こちらが全部解決してしまう。
すると本人は、
失敗して自分で立て直す経験をしなくなる
ことがあります。
「助けること」が、結果として相手が自分でやる機会を奪ってしまう。
これは皮肉ですよね。
相手を自立させたいと思って世話をしているのに、世話をするほど自立する必要がなくなる。
優しさというのは、ときどき難しいものです。
愛情なら、何でもしてあげるべきなのか
「好きなら支えるのが当然」
そう思うこともあるでしょう。
でも私は、
支えることと、代わりに生きることは違う
と思っています。
相手が転びそうなとき、手を出す。
これは支える。
相手が転ばないように、一生抱えて歩く。
これはもう別の話です。
恋人が失敗する。
本人が考える。
本人が責任を取る。
必要なところだけ助ける。
それも愛情ではないでしょうか。
むしろ、
「あなたなら自分でできる」
と信じて任せることも、相手を大切にする方法の一つだと思います。
恋愛依存は「会いたくて仕方がない」だけではない
恋愛依存と聞くと、
一日中相手のことを考える。
LINEが来ないと不安になる。
別れたくても離れられない。
そんな姿を想像するかもしれません。
確かにそういう形もあります。
でも、
「相手を世話する役割から降りられない」
という形で関係に縛られることもあります。
彼が困る。
私が必要。
だから離れられない。
離れようとすると罪悪感が出る。
また助ける。
こうして、
相手が自分に依存し、
自分も「依存される関係」に依存していく。
外から見ると、
「彼女が一方的に面倒を見ている」
ように見えます。
でも実際には、二人ともその関係から離れにくくなっている場合があります。
「助ける」と「尻拭い」は違う
では、どこから危うくなるのでしょう。
私は、
本人が負うべき結果まで、こちらが引き受け始めたとき
は一つの目安になると思います。
たとえば仕事で落ち込んでいる恋人の話を聞く。
これは支えることです。
でも、
何度仕事を辞めても生活費を全部出す。
本人が作った借金を繰り返し肩代わりする。
約束を破った本人に代わって周囲へ謝る。
問題を起こすたびにこちらが後始末する。
こうなると、
「支えている」というより、
相手の行動の結果を引き受けています。
相手が失敗しても、最終的には自分が何とかしてくれる。
それが当たり前になれば、相手が変わる理由も少なくなります。
優しさが、いつの間にか問題を長引かせてしまうこともあるのです。
男性側から見た「彼女を母親代わりにしてしまう関係」については、**第9部「彼女を母親代わりにしてしまう男性|甘える恋愛と依存する恋愛の違い」**で詳しく考えています。
こんな関係になっていたら、一度立ち止まってみる
母性本能なのか。
愛情なのか。
恋愛依存なのか。
言葉だけで明確な線を引くことはできません。
ただ、自分の状態を見るヒントはあります。
たとえば、
相手の問題ばかり考えて、自分の生活がおろそかになっている。
嫌なことでも断れない。
「別れたい」と思っているのに、かわいそうで離れられない。
相手の失敗を何度も代わりに処理している。
助けないと強い罪悪感がある。
相手が自立すると嬉しいより寂しい。
友人や家族から心配されても、誰にも相談できなくなっている。
こうした状態がいくつも重なっているなら、
「私は母性本能が強いから」
だけで終わらせないほうがいいでしょう。
それでも、ダメなところのある人を好きになっていい
ここまで読むと、
「問題のある男性とは付き合わないほうがいい」
という記事に見えるかもしれません。
そういう意味ではありません。
そもそも、完璧な人間はいません。
私だって61年も生きていますが、いまだに、
「そこ直らないの?」
と言われることはあります(笑)。
人には欠点があります。
相手の欠点を受け入れることも、長い関係では必要でしょう。
大事なのは、
欠点があることと、相手の人生をこちらが背負うことを分けること。
不器用でもいい。
失敗してもいい。
弱音を吐いてもいい。
ときには甘えてもいい。
でも、自分の人生については本人が責任を持つ。
そしてこちらが弱ったときには、今度は相手が手を差し出してくれる。
それなら「放っておけない」から始まった恋でも、十分に二人の関係へ育っていくと思います。
女性が「放っておけない」と感じやすい男性の特徴については、第2部「母性本能をくすぐる男性とは?|なぜ『放っておけない男』に惹かれるのか」で詳しく紹介しています。
「私がいなくても大丈夫」な相手と一緒にいられるか
少し矛盾して聞こえるかもしれませんが、私はここが大切だと思います。
理想を言えば、
「私がいないと生きていけない人」ではなく、「私がいなくても生きていけるけれど、私と一緒にいたい人」。
そして自分も、
相手がいなければ何もできないのではなく、
一人でも生きていける。
それでも、
この人と一緒にいたい。
そのほうが「必要だから離れられない」より、ずっと自由です。
自由なのに、一緒にいる。
考えてみれば、それはかなり贅沢な関係なのかもしれません。
まとめ|「放っておけない」の中に何があるのか
なぜダメな男性ほど放っておけないことがあるのでしょう。
好きだから。
心配だから。
弱いところがかわいいから。
助けてあげたいから。
自分を頼ってくれるから。
必要とされると嬉しいから。
そして、ときには、
必要とされることで自分の価値を感じられるから。
いくつもの理由が重なっています。
だから、
「ダメ男を好きになる女性は母性本能が強い」
だけでは説明できません。
大切なのは、
助けることによって、二人とも少しずつ立てるようになっているのか。
それとも、
助け続けなければ関係そのものが成立しなくなっているのか。
この違いです。
「私がいないと、この人はダメ」
と思ったときこそ、もう一つ問いかけてみてもいいでしょう。
「では、私がダメになったとき、この人は私を支えてくれるだろうか」
その答えには、母性本能と恋愛依存の境界を考える大きなヒントがあると思います。
次の第5部では、女性側から見る母性本能編の最後として、
第5部|母性本能が強い女性は恋愛で幸せになれるのか|世話をする愛と尽くしすぎる愛
を考えます。
「世話好き」は長所なのか。
どこから「尽くしすぎ」になるのか。
そして、相手を大切にしながら自分まで大切にするにはどうすればいいのか。
第1〜4部を、ここで一度まとめます。
運営者のメッセージ
「必要とされる」というのは、やっぱり嬉しいものです。
これは年齢を重ねても変わらない気がします。
「あなたがいてくれて助かった」
そう言われれば、自分にも役割があると思える。
好きな人から言われれば、なおさらでしょう。
ただ、
必要とされることと、大切にされることは同じではありません。
ここは、今回の記事を書いていて改めて大きな違いだと思いました。
相手のために何かをしてあげる。
それ自体は愛情です。
でも、その人の人生まで自分が背負い始めたら、こちらが先に疲れてしまいます。
そして一番怖いのは、疲れているのに、
「私がやらなきゃ」
と思ってしまうことです。
恋愛は、どちらか一人がもう一人を完成させるものではないのでしょう。
不完全な人と、不完全な人が一緒にいる。
今日は私が少し支える。
明日はあなたが少し支えてくれる。
それくらいでいいのかもしれません。
「私がいなければダメ」ではなく、
「一人でも大丈夫。でも、あなたがいると嬉しい」
私は、長く続く関係にはそんな距離感がちょうどいいように思います。
母性本能シリーズ
第3部|「守ってあげたい」は恋愛感情なのか|母性本能と「好き」の違い
シリーズを最初から読む|第1部「母性本能とは何なのか」
母性本能シリーズ|次の記事
第5部|母性本能が強い女性は恋愛で幸せになれるのか|世話をする愛と尽くしすぎる愛の違い
相手を思って世話をすることと、自分を犠牲にしてまで尽くすことは同じではありません。第5部では、「してあげたい」が「私がやらなければ」に変わる境界線を考えます。
