―― なぜ、たった一言が何十年も心に残るのか ――
私は61歳になって考えるのですが、人の記憶というものは本当に不思議です。
昨日の夕食が思い出せないことがあります。
先週会った人の名前が出てこないこともあります。
それなのに、子どもの頃に誰かから言われた一言だけは、何十年経っても忘れません。
なぜなのでしょう。
私にも、今でも思い出す言葉があります。
特別な言葉ではありません。
人生訓でもありません。
ほんの一言です。
その言葉を掛けた本人は、おそらく覚えていないでしょう。
でも、言われた私は今でも覚えています。
きっと、皆さんにもそんな言葉が一つや二つあるのではないでしょうか。
逆に考えることもあります。
私が誰かに何気なく話した言葉を、その人は今でも覚えているかもしれない。
そう考えると、不思議な気持ちになります。
私は忘れていても、相手の人生の中では、その言葉が生き続けているかもしれないのです。
心理学では、人は感情が大きく動いた出来事ほど記憶に残りやすいと言われています。
嬉しかったこと。
悲しかったこと。
悔しかったこと。
安心したこと。
つまり、人は言葉そのものを覚えているのではなく、そのとき感じた感情を覚えているのでしょう。
だから、同じ言葉でも人によって受け取り方が違います。
ある人には励ましになり、ある人には重荷になる。
言葉には絶対的な意味があるのではなく、その人の人生と重なったときに意味が生まれるのだと思います。
例えば、学校の先生が言った、
「君ならできる。」
という言葉。
同じ言葉をクラス全員が聞いても、一人だけが何十年も覚えていることがあります。
その一言が、その子にとって人生で初めて「認められた」と感じた瞬間だったのかもしれません。
逆もあります。
「向いていない。」
「無理だよ。」
「お前にはできない。」
言った側は軽い気持ちだったとしても、受け取った側は、自分の価値そのものを否定されたように感じることがあります。
ここで考えたいのは、「言葉は人を変える」という単純な話ではありません。
同じ言葉を聞いても、変わる人と変わらない人がいます。
ということは、言葉だけに力があるわけではないのでしょう。
私は、言葉とその人の人生が重なった瞬間に、大きな力が生まれるのだと思っています。
乾いた土に雨が降っても何も起こりません。
でも、種が埋まっている場所なら芽が出ます。
言葉も同じではないでしょうか。
相手の心の中に、迷いや期待、不安や希望という「種」があったとき、一言がその種を育てることがあります。
だから私は、「人生を変える言葉」というものは存在しないと思っています。
あるのは、
「人生が変わるタイミングで出会った言葉」
なのだと思います。
同じ言葉でも、十年前なら何も感じなかった。
でも今だから心に響く。
そんな経験はありませんか。
人は、準備ができたときに初めて言葉を受け取れるのかもしれません。
相談でも同じです。
同じ助言をしても、受け入れる人もいれば、何も変わらない人もいます。
それは、助言が良かったか悪かったかではありません。
その人が、その言葉を受け取る準備ができていたかどうか。
私は、その違いが大きいように思います。
だから、言葉には少し謙虚でいたいと思っています。
「私がこの人を変えた。」
そう思うことも違う。
「私の言葉なんて意味がない。」
そう決めつけることも違う。
言葉は、相手の人生の中で必要な時が来れば、小さな種のように芽を出すことがあります。
でも、それがいつなのか、どんな花を咲かせるのかは、誰にも分かりません。
私は61歳になって、人との会話を以前より大切にするようになりました。
何か立派なことを言いたいわけではありません。
むしろ、その逆です。
自分では何気なく話したことが、誰かの心に残るかもしれない。
そう思うようになったからです。
もちろん、必要以上に言葉を恐れる必要はありません。
でも、「言葉は消えてなくなるものではない」ということだけは、心のどこかに置いておきたいと思っています。
第1部では、人は知らないうちに他人の人生を変えているという話を書きました。
第2部では、その影響が最も現れやすいのが相談という場面ではないかと考えました。
そして今回、私はもう一つ思うことがあります。
人生を変えるのは、大きな演説でも名言でもありません。
案外、本人が忘れてしまうような何気ない一言なのかもしれません。
だから人は面白い。
だから人との出会いは、何歳になっても大切なのだと思います。
